公式ホームページ
以前の記事
2012年 02月 2011年 08月 2010年 12月 2010年 08月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2006年 04月 01日
最高のお花見日和である。青山墓地のアーチ型に咲いた桜も美しかったが、新高輪プリンスホテルの桜も見事だ。
こんな日はきっと皆、桜尽くしに違いない。だから、私はあえて桜を着ない。天邪鬼の私は菜の花の訪問着を身にまとって、家を出た。 今日はこのホテルでギャラリー「一穂堂」の10周年記念パーティが開かれる。。私の勝手な思い込みで、この催し物は明日のはずだった。午前中に同じホテルの庭園で開かれるお茶会に出席し、こちらに移動する。朝から髪を結い上げ着物姿で効率よく過ごせるはずだったのだ。しかし、それは私に都合のいい勘違いであると判明し、明日の朝また、同じ場所に来ることになっている。 10周年記念というだけで、なぜ和服なのかといえば、それは、「一穂堂」が「日本」とは何かを追求するギャラリーであり、しかも日本で最古の帯問屋・誉田屋の社長がお話をされるからである。となれば、当然のことながら、誉田屋の帯を結んでいかねばなるまい。 後ほどKIMONOの頁のアップするつもりだが、この誉田屋の帯が実に面白い。横糸に箔を使った紙布を使っているので軽い上、お太鼓部分にリボンだの鎖だのを通して冒険した代物である。袋帯ではないので訪問着には不向きだが、小紋や紬で許される席でもない。顰蹙を買うことを承知で訪問着を選んだというわけだ。 会場には、発起人の一人である佐久間良子さんをはじめ、あでやかな着物姿のご婦人たちや日本を代表する工芸作家の方々が集まっておられた。入口には発起人の方々が一穂堂の「一」を描いた作品が飾られている。さすがアーティスト軍団。この最も難しい文字を見事な芸術作品に仕上げていらっしゃる。隣には内田繁さんの茶室が2つ、設われていた。 そうした方々がお話をされたのだから、聞いているだけで充実していたには違いないのだが、テーブルで隣り合わせた人々がまた面白く、一際うるさいテーブルと化した。右隣には、パークハイアットにある日本料理「梢」のシェフが、左隣には一穂堂の社長・青野恵子さんの妹さんが座られたからだ。 「梢」では先日、父の三回忌を執り行ったばかり。もう1ヶ月早くお目にかかっていれば、会がもっと盛り上がっていたであろうと考えると少し残念だった。一方、青野さんの妹さんは、すでに一穂堂の前身であるギャラリーを大阪で始めておられたのだという。彼女の訪問着も帯もすべて誉田屋製で、ご本人は全身全霊関西人。おかげで意気投合してしまった。 こうなると気の毒なのは、「梢」のシェフだ。若くて綺麗な妻を連れているものだから、我々に突っ込みまくられるハメになったのである。馴れ初めは博多駅で迷っていた時、彼女が親切に道を教えてくれたというのだが、そんなきっかけでこのように美しい妻を手に入れると知れば、日本の男たちは皆、全国各地の駅で迷子になるであろう。そして、めでたく結婚でき、少子化にストップがかかるというものである。 さて、桜尽くしの着物がよく似合う妹さんによれば、どうやら青野さんのご実家は女系家族ということらしい。おばあさまが着道楽で、お母さま、三姉妹ともに、お着物が大好きなのだそうだ。佐久間良子さんが細雪の舞台に立たれた時には、おばあさまの遺品のバッグをお使いになったのだという。これで、佐久間さんが発起人の一人である理由が判明した。 実は私の祖母も祖父とともに戦前、呉服屋を営んだ時期があり、着道楽の血が流れているのだと語ると、彼女はこう答えたのである。 「そうでしょう。やっぱり、お着物だけはDNAよ。突然変異で着こなせないの。うちには、おばあちゃんのコレクションが残っているから、見に来てね」 そんなことを言われると、つい真に受けて出かけてしまうのが秋尾である。細雪さながらのお着物の数々、得と拝見させていただこう。
by satocantik
| 2006-04-01 19:59
|
ファン申請 |
||